今お庭のヤマブキが奇麗に咲いてる。芝の中に紛れてるのに元気いっぱい。
ヤマブキをみると、高柴ダムを思いだす。
小学校の低学年のころ。家族で出かけた釣り。
川魚がよく捕れて、高柴ダムにお父さんはよく出かけて行ったね。
私はまだ小さくて釣り竿なんかもてなくて一人で遊んでいたら、父がかわいい稚魚を一緒に手ぬぐいでとってくれた。
お父さんが片方、私が片方の端の手ぬぐいをつかんでぴーんと張って「イッチ、ニッ、サン」で横にすくうと小魚がとれてとっても嬉しかった。
ダムからあがってきて車にもどったら、ヤマブキがきれいに咲いてた。
お母さんが「ヤマブキが奇麗ね・・・」って。それでヤマブキの名前を覚えたのよ。
私の記憶は、そのころを境に悲しいものに変わっていったような気がする。
それはなぜかというと、家族のなかが、だんだん兄達の将来の進路をみすえて空気がかわっていったから。
お父さん、お母さん。私はあなた達が大好き。
今でもお父さんが大好き。
でも、私はあなた達と同じ過ちをしない。
子どもの将来の型を最初からつくって、その型を追い求める子育ては決してするまいと思って、私は心して3人の子供達をそだてているつもり。
子供達は3人ともそれぞれに、あちらへ行ったり、こちらへ行ったり。
いろいろなところで悩んだり、私を喜ばせてくれたり。
でもどのような道を選んでいっても、私は大切にこの宝物を見守りたいと思ってる。
昨日から奇麗に咲いてるヤマブキをみて、いろいろ思いだしたよ。
本当に、あの時代に、お父さん達が少しでもwiseだったら、私達兄弟の一生は変わっていただろうなと思うのよ。
ほんとうにね。